NO.32
この映画は、その時代を真剣に生きていた二人の物語である
そこに躊躇を挟むことなく
“必然の行為” を起こしていた二人の物語である
このとき、二人は “生と共に在った” のだ
つまり、“自己想起” を起こしていたのである
次郎が「菜穂子の父親に付き合いを認めてもらうシーン」は
“自己想起” を起こしている
さて、一体どれほどの人たちが
このような魂の昂ぶりのままに結ばれることがあるだろうか?
一切、疑うことのない真っすぐな愛のままに結ばれることがあるだろうか?
“根底から繋がっている二人の信頼からあふれ出てくる愛” が見事に表現されている
もし、あなたにも、“この二人の自然な言動” が理解出来るなら
あなたは既に “このようなものを持っている” ということである
ならば、これから「ここ」を超えていかなければならないのだ
さて、「この世界」は人間の欲から発する「思考」を元として
「意図的に作られたもの」で出来ている
それが必要以上に進んでしまった為に、とても「いびつな世界」に成っている
だが、“風 (自然のもの)” は「人間が意図的に作ること」は出来ない
この映画の “隠れた主役” は、この “風(自然のもの)” である
この風とは、“physis” のことである
さて、この “風=physis” は
一体何処からどのようにして吹くのだろうか?
まったくの真空状態からは、風は吹くことは出来ない
だが、そこには “何か” が、風として起こっているのだ
この世界の中に居る「あなた」が “世界” に溶けたとき
つまり、寸分の狂いもなく「あなた」が “世界” に収まったとき
この「あなた」は消えてしまう
そして、あなたは “生そのものと成る” のだ
つまり、“physisに成る” のである
この “physis” は「人間が作るもの」ではない “自然発生” を起こしていく
“物事が動き始めるきっかけを起こしていく” のだ
さあ、風立ちぬ
そこに「あなた」なんかもう居ない
そこには、“あなたというphysis” が吹いているのだ