NO.300
湯屋では「労働」が当たり前である
この「労働」は、“自ら発していく生産” ではなくて
「させられている労働」である
さて、千尋は「湯婆婆」に、「荻野千尋」という名前を、「千」にされてしまう
これは「DNA操作」を表しているのである
元々、人間には「12本のDNA」が有ったそうである
だが、今では「2本だけ」になっている
残りの10本は外されてしまったのである
この「失った10本のDNA」は「ジャンクDNA」と呼ばれていて
今でも「人間のDNAの端っこに途切れたまま」で、その痕跡を残しているのである
このことが判るハクの端的なセリフがある
“「湯婆婆は『相手の名前』を奪って支配していくんだ」”
そう、この「名前」とはDNAのことを指しているのである
千尋も「名前」を奪われて「千」にされてしまう
そのせいで “本当の自分” を忘れそうになっていく
だが、ハクから「本当の名前はしっかり覚えておくんだよ」とアドバイスを受けるのである
そういう「ハク」自身が、“自らの名前” を忘れてしまったからである
ハクは “自分が誰なのか” を思い出せないままでいたのである
そのためにハクは “自らで起こす生産” が出来ずに
「外側に従わされている労働」を強いられている存在になっていたのである
その姿が「龍(蛇)」である
「湯屋」とは、そういう場なのである
実は「地球」も、そういう場なのである
どちらも「神隠し」が行われている場なのである
だがしかし、最後にハクは、“本当の自分の名前” を思い出すのである
千尋から「幼い頃に川に溺れそうになったときに “何か” が助けてくれたこと」
「そのときの川の名」が「コハク川」だったことを聞いてである
ハクは自らの名が “ニギハヤミコハクヌシ” だったことを思い出すのである
この瞬間「ハクにかけられていた呪い」が解けて
「働かされている龍(蛇)の姿」から、本来の “ニギハヤミコハクヌシ” に戻るのである
このときに、ハクは “本来の姿である神” に戻ったのである
このように、この映画は、“自らの存在” を「忘れてしまった者(神)」が
“本当の自分を思い出す”
“自らの生を取り戻す” までの物語である
ちなみにクリシュナムルティは、こう言ったのである
“ 「もしも自分自身の生き方を観察するなら、あなたは人に従う以外の何もしていないことがわかるでしょう。この従属システムが、私たちが「生きること」と呼んでいるものです。人生は今、何の意味も持たないのです。意味はあなたがこうした権威をすべて脇にどけてしまう時にのみやってきます」
「ほとんどの人は知る知らないは別にして、すでに生きながら自殺を犯しつつあるのではないだろうか」 ”
つまり「地球はハッキングされている」のである
だから「そこから出なさい」ということを、この映画は伝えているのである