「あなた」が何もしないとき未知がひらく

高野悦子「二十歳の原点」より

NO.14

高野悦子「二十歳の原点」より抜粋


一九六九年 一月二日
 私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。「高野悦子」自身になりたい。テレビ、新聞、週刊誌、雑誌、あらゆるものが慣らされる人間にしようとする。私は、自分の意志で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。

高野悦子「二十歳の原点」

 
一月五日(日)
 平穏に見える西那須野の我が家の中にも、それはしみこんできているという意識をもつことが必要である。みんな己れの意志でやっているように見えて何かにあやつられている。すべてがそうなのではないか。父、母、姉、弟、みんな自分の意志で生きているつもりが、操作されているのではないか。 
 親は常に指導的な優位な立場にたって、子である私達をみる。私達は未熟であり、物事にぶつかっていこうとする。親はこっちの方が近道だから良い道だから、こっちを行きなさいという。

高野悦子「二十歳の原点」


一月十七日
 家庭で幼年時代を過し、やがて学校という世界に仲間入りした。ここで言いたいのは学校における私の役割である。学校という集団に始めて入り、私はそこで「いい子」「すなおな子」「明るい子」「やさしい子」という役割を与えられた。ある役割は私にとり妥当なものであった。しかし、私は見知らぬ世界、人間に対しては恐れをもち、人一倍臆病であったので、私に期待される「成績のよい可愛こちゃん」の役割を演じ続けてきた。集団から要請されたその役割を演じることによってのみ私は存在していた。その役割を拒否するだけの「私」は存在しなかった。その集団からの要請(期待)を絶対なものとし、問題の解決をすべて演技者のやり方のまずさに起因するものとし、演技者である自分自身を変化させて順応してきた。中学、高校と、私は集団の要請を基調として自らを変化させながら過してきた。
 この頃、私は演技者であったという意識が起こった。集団からの要請は以前のように絶対なものではないと思い始めた。その役割が絶対なものでなくなり、演技者はとまどい始めた。演技者は恐ろしくなった。集団からの要請が絶対のものでないからには、演技者は自らの役割をしかも独りで決定しなければならないのだから。
 人間というものは不思議な怪物だ。恐ろしい怪物だ。愛したかと思うと怒って私を圧迫したりして私を恐怖に追いこむ。何とも訳のわからぬ怪物の前で、私はちじこまり恐れおののいている。何のなす術も知らず、ビクビクしながら。彼等の持つ不平不満は、演技者としての私のまずさにあるのではなく、要請された役割の中にあるのだということを、大学生活の中で知った。

高野悦子「二十歳の原点」


二月一日(土)雨のち曇
 太宰の作品を読む。
 彼の作品は難かしい。よくわからない。けれども彼の世界が真実のように思える。前に私のもっている世界は己れのものではないと書いたが、私のもっている世界はーー女の子は煙草を喫うものではありません。帰りが遅くなってはいけません。妻は夫が働きやすいように家庭を切りもりするのです・・・・・・。しかし、うすうすその世界が誤りであることに気付き始めているのだ。私はその世界の正体を見破り、いつか闘いをいどむであろう。太宰に何か惹かれるのである。太宰は何が本物で、本当なのかを知っているのではないか。

高野悦子「二十歳の原点」


四月十三日
 独りである自分を支えるものは自分である。
 人間は他者を通じてしか自分を知ることができない。悲劇ではないか。

高野悦子「二十歳の原点」

 
四月二十九日 晴
 隣の部屋の女のくだらないおしゃべり。ああ人間はくだらない。卑小だ。大ていの人間は、人間の人間たるを知らずして社会の中に埋没してただ生きているのだ。 
 自由! 私は何よりも自由を愛す。

高野悦子「二十歳の原点」


五月二十四日
 私はあなたの信念が、他人の誰からもゆるがせられぬものであることを知っている。そして、あなたは現在の仕事に生きがいをもってやっている。しかし、あなたは、その固い信念でもってよく考えてほしい。その仕事がいかに人間としてのあなたにとって矛盾に満ちたものであるかを。そして、その矛盾を止揚して闘ってほしい。会社側と国家権力、その壁にむかうとき人間は始めて真の人間となる。機械でない己れの手と足で創造活動を行う人間となる。人間が己れの手と足で立とうと決意したとき、今まで己れの存在を形づくってきたものが、いかに弱い基盤の上に立っていたかを知る。彼はおのれの足を作りながら歩かねばならないのだ。それは、まさに血みどろの闘いである。しかし、そのとき始めて彼は己れの足を、手を、己れ自身をもつことができるのだ。 
 人間が真に人間たりうるのは闘争の中においてのみである。闘争する人間は、大岩におちた一滴の雨粒に似ている。しかし闘争する人間は、その過程の中で自己実現を行い、自己の完成に向かっているのである。中村よ、私はこの言葉をあなたにおくる。
一九六九・五・二四 10:00PM

高野悦子「二十歳の原点」


五月二十七日
 常に状況を監視せよ
 主体性を求めてやむな
 すべての空間を己れのものとせよ
 自己満足をするなかれ

高野悦子「二十歳の原点」


六月九日
 私の闘争は人間であること、人間をとりもどすというたたかいである。自由をかちとるという闘争なのである。人間を機械の部品にしている資本の論理に私はたたかいをいどむ。
 その一方で私は私のブルジョア性を否定して行かなければならない。
 その長い過程で真の己れを形成し発展させていく。それは苦しいたたかいである。が、それをやめれば私は機械になる。己れが己れ自身となるために、そして未熟であるが故に、私はその全存在をさらけ出さなければならない。

高野悦子「二十歳の原点」


六月二十二日
 今や何ものも信じない。己れ自身もだ。この気持ちは、何ということはない。空っぽの満足の空間とでも、何とでも名付けてよい、そのものなのだ。ものなのかどうかもわからぬ。

高野悦子「二十歳の原点」

この「六月二十二日」の日記を書いた2日後の深夜に、彼女は列車の線路上に身を横たえるのである
    

上記は、彼女が二十歳のときに書いていた日記である

彼女が亡くなってから今年の6月24日で、ちょうど50年になる

間違いなく、彼女には「この世界」が観えていた

と同時に、“この世界の外に在る意識” にも気が付いていた

これはこの文章からも明らかである

だから、彼女は「この世界」からの “脱出” を試みていたのだ

だが、時代は全共闘運動まっさかり

それ故に「この世界」につられて「この世界の中」で闘おうとしてしまったのかもしれない

誰よりも、たった独りでの「自分自身との闘いなのだ」と解かっていたはずなのに・・

あとは、自らの中の “新しく芽生えた意識” が活性化していくだけだったのだ

睡眠薬の量さえ守って生きていたら

きっと “新しい世界” を掴んでいたに違いない

そこは彼女が渇望していた世界である

そこからあふれ出る文章は、素晴らしいものに成っていたであろう