NO.15
今、目の前にパソコンの「画面」がある
そこから目をそらして、左側を見る
この時点でパソコンの「画面」は “ゼロ” となる
もう存在していない
今度はベランダ越しに「外の風景」が見えている
そこに「外の風景」が誕生したのだ
そして、また視線を戻してみる
すると、またパソコンの「画面」が誕生する
だが、そのパソコン「画面」は、さっき見たものとは違っている
3秒前に見たパソコン「画面」は、“ゼロ” と成ったのだ
だから、今見ているこのパソコン「画面」とは違うのだ
と、「量子力学」では言っている
さて、今度は「さっき見ていた外の風景」は、そこには無い
「外の風景」は、もう存在していない
このことが、全てに当てはまる は・ず・だ
だが、我々は「記憶」を持ち歩いている
視線を戻すと「そこにはパソコンの画面がある」という「記憶」である
“そこにパソコン画面なんか無い” のに
「そこにパソコン画面が有る」という『記憶』が
そこに「パソコン画面」を存在させている
つまり、「記憶」を認識し続けることで
そこに「あたりまえに有る物」と成ってしまっているのである
“新しいもの” であるはずの物が
「いつもそこにある物」に成っているのである
これは「ブラウザのキャッシュ」と同じ仕組みである
そこが、全然更新されてないのだ
つまり、普段の我々は「記憶を見ている」のである
「我々の世界」は、ほぼ「記憶」で構築されてしまっているのである
これが「マトリックス」
では、初めてみるモノとは何だろうか?
旅先で「初めて見る風景」
これは、どうして現れたのだろうか
これは解かりやすい
“今” が現れたのである
これは、“まっさら” である
そこに「記憶」はない
だが、その風景に「言葉」を与えてしまったら
それはもう「記憶」と成ってしまうのだ
このことを応用すれば
「パソコン画面」も「外の風景」も
「記憶を外すこと」で
“まっさらなモノ” になるのである
そして、これが “本来の視線” なのである
その為には “「思考」を外すこと” である
この「思考」が「記憶」だからである