NO.480
ミヒャエル・エンデの小説、「モモ」
これを「演劇にしたもの」を
小学校5年生くらいの頃だっただろうか
学校の行事で、劇場まで観に行った覚えがあり
そのときのことを、未だに忘れることなくずっと覚えているのである
そのときのタイトルが「モモと時間どろぼう」だったのも覚えている
そして、そのときしか聴いていないはずの歌も
♪ わたしは~ 歌う~ せせらぎの歌~ ♪
と、未だに歌えてしまうのである
そんな感覚をずっと持っていたため
いつかは必ず読もうと思っていた小説なのだが
なぜだか怖くて、今まで読めなかったのである
ちなみに、この小説の中には、この歌の歌詞は出てこなかった
さて、ミヒャエル・エンデは、“知っている人” である
彼の小説は、それを元にして書いている
小説「はてしない物語」もそうである
この小説も、至る所から真理があふれ出している素晴らしい物語である
さて、「モモ」だ
この小説に出てくる「灰色の男」とは
ここの記事で言うところの「あなた」のことである
あなたは、この「あなた」に「時間」を盗まれているのだ
と言うか、この「あなた」が即、「時間」なのである
つまり、「あなた」とは「時間」であり、イコール「灰色の男」なのである
この「灰色の男」は、元々「存在しないもの」である
さて、この「灰色の男」は、“人間の時間” をごっそりと盗みたいがために
“時間の元(永遠の今)である、“どこにもない家” へ行こうとする
だが、「彼ら」は “どこにもない家(永遠の今)” には入ることが出来ない
“そこ” に入ろうとすると「彼ら」の存在が消えてしまうからだ
「過去の時間そのもの」である「彼ら」は、“永遠の今” では活動することが出来ないのである
この “どこにもない家(永遠の今)” を管理しているのがマイスター・ホラである
このマイスター・ホラが、人間に “永遠の今=生きた時間” を送り続けているのである
人間は、一人一人がこの “永遠の今=生きた時間” を持っているのである
その人間が持っている “生きた時間” を「灰色の男」が奪い取っているのである
と言うか、人間が「自らで手放した “永遠の今”」が「灰色の男」に化けているのである
人間は自らで、その「隙」を「彼ら」に与えてしまっているということである
そして、逆に「彼ら」に支配されるまでに成ってしまっているのである
この「灰色の男」は「葉巻の煙」を吸うことで生きながらえている
この葉巻は、人間から奪い取った時間= “時間の花” から作り出したものである
「彼ら」は、この “時間の花” を冷凍保存にして「貯蔵庫」に保管しており
そこから、必要な分だけを「葉巻」に変えていっているのである
そして、それを「ふかす」ことで生きながらえているのである
これは、このときの “時間の花” はまだ生きていて
そのままでは「彼らの体」には取り込めないからである
だから、一度燃やすことで「煙」にして、それを「ふかし」ているのである
だが、逆にこの「煙」を人間が吸ってしまうと
今度は、人間の方が病気になってしまうのである
さあ、ここで気付くかもしれない
「この煙を吸って病気に成っている人間たちの世界」が
「我々の世界なのだ」ということに
これが同じく「この世界」で起きていることなのである
だからこそ、人間は「灰色の男」をドシャットしなければならないのである
そして、自らが持っている “時間の花=永遠の今” を保ち続けなければならないのである
そして、最後にモモは、「灰色の男」が貯蔵庫に保存している “みんなの時間の花” を解放させにいく
モモがその貯蔵庫を開けると
“時間の花” が、みんなの元に還っていく
そして、人々はもう「時間」に追われることなく
“自らの人生” を、歩み始めるようになるのである