「あなた」が何もしないとき未知がひらく

イエスの「放蕩息子」

NO.118

息子は、さんざん「外」に出てみた

あれがしたい これもしたい
あれが欲しい これも欲しい

息子は、思うがままに「外」に出てみた

そうして、放蕩の限りをし尽して全てを失ってしまった

最後は飢えにも苦しんだ

そして、息子はまた “父の元” に帰っていく

父は、このような状態で息子が帰って来たのにもかかわらず

すぐに息子を抱きしめ、祝宴を開いて豊かさを与えたのである

これがごく簡単な、イエスの「放蕩息子の話」である

  

さて、ここで言っているのは

父は、“父の所” でしか豊かさを与えられない ということである

だから、ここに帰ってきなさい ということである

息子自身も、“父の所” がいちばん豊かだったことに気が付いた ということである

つまり、本来在るべき所は、“父の所” だったのである

この “父の所” にさえ戻って来れば

あとは “そこに起こることだけ” でよくなるのである

なぜなら、“父の所” というのが “ここ” であり

“本当のあなた” のことだからである