「あなた」が何もしないとき未知がひらく

釈迦の「因縁生起」

NO.463

今日のあなたの昼食は「シャケ弁当」だ

いま、あなたの目の前には「シャケ弁当」がある

だが、本来その「シャケ弁当」を手にするには

まず、あなたがそのシャケを捕りに行かなければならない

そして、お米も育てて、ご飯も炊かなければならない

さらには、弁当箱を作って、盛り付けもしなければならない

これらの作業をして、ようやくあなたは「シャケ弁当」を手にすることが出来るのだ

だが、あなたはそれをしていない

していないのにもかかわらず

あなたの目の前には「シャケ弁当」がある

なぜか?

「それらの作業を成してくれた方々が居た」からだ

それらのもろもろの縁が重なって

あなたの元に「シャケ弁当」が運ばれてきたのである

これが、釈迦の言った「因縁生起(縁起)」である

だが、この言葉の意味はこれだけには留まらない

この言葉が持っている、さらなる真意は

縁が積み重なって、また物理的な作業も伴った結果として

「そこにシャケ弁当が現れている」と言うだけではなく

“今、ここで、それらの物理的作業の全てを作り出した” と言うことである

“今、そこで、あなたがそれらの全ての作業を創造した” のである

つまり、あなたが “今そこで全ての因縁を創った” ということである

これが釈迦の言っている “因縁生起(縁起)” の真意である

これは、“今、ここに在るものだけで全てだ” ということである