「あなた」が何もしないとき未知がひらく

ラカンの「言葉の世界に女性はいない」

NO.406

あなたが「求めているもの」

それ “そのもの” は、この世界の中には無い

いくら探しても無い

だから「やっと見つけた」と思っても

「それ」は、“それそのもの” では無いのである

「それら」は、「“それそのもの” の化身」でしかないのだ

ジャック・ラカンは「『言葉の世界』に “女性” はいない」と言った

まさにその通りであり「言葉の世界」には

つまり「この世界の中」には「凸」しか存在出来ないのである

これは「この世界に存在しているもの」は全て「凸」だということである

だから、たとえ「何かを得て、やったー終わったー」としても

それはまた、新たな「凸=欲望」として活動を開始するのである

これが、ラカンの言った「言葉の世界に女性はいない」の真意である

だが、この「凸」が「この世界」の原動力に成っているのも事実である

  

さて、いつも「何か」が足りないため

それを埋めるために「探し求めている凸」が居る

この凸は常に何かを求めている

実際に「『足りていない』が、その凸本人だ」ということに気付かないままに、である

ゲーテはこのことに気付いていて「活動的な馬鹿より恐ろしいものはない」と言った

これは「活動的な凸=エゴ」のことである

さらに、ゲーテは自らの「色彩論」で

「色」は、「光と闇」との『間』に生まれてくると言った

正確には「光と闇との切り替わる隙間」に「色」が現れると言ったのである

そう、「色(凸)」は『隙間』にしか現れないのである

この闇と言うのは、“在る” のことである

光と言うのは、“観る” のことである

  

さて、では凹はどこに在るのか?

凸から「凹を探した」ところで決して見つからない

そうではなく、凸は戻ってこなければならず

その戻ったところに凹が在るのだ

だが、戻ったときには、凸も凹も無くなるのである

その状態が “在る” である

だが「この世界」に居るのなら

“在る” では「存在すること」が出来ない

凸に成らなければ「この世界」には存在出来ないからだ

それが「言葉」なのである

凸とは「言葉」なのである

だから、ラカンは「言葉の世界に女性はいない」と表現したのである