「あなた」が何もしないとき未知がひらく

老子

NO.267

  “大道廃れて仁義あり”

  “知恵出でて大偽あり” 

老子はこのように言ったそうである

  

これは、「大道(本来の道)が廃れてしまったことで、それを修正する『仁義』が必要になってしまった」

「知恵(私的に考えること)で『偽り』が起きるようになってしまった」

というような意味である

つまり、“本来在るべき大道(タオ)” に留まっていれば

「仁義」や「知恵」などというものは必要ないのだ ということである

「仁義や知恵」は、“大道” から外れたときにだけ出てくるものだ ということである

これは、孔子の「仁義」をバッサリと切り捨てるものである

孔子の「仁義」は、「するもの」で

老子の “道(タオ)” は、“在るもの” だ

だから、この両者の「次元」は違っているのである

  

さて、これら「必要のないもの(仁義・知恵)」の正体とは「時間」である

この「時間」が「偽のあなた」である

この「偽のあなた」が、いつもあなたの邪魔をしているのだ

だから、あなたが行為をするときは

この「偽のあなた」が「行為する」のではなく

“あなたが行為そのもの” に成っていなければならないのだ

そこに「ズレ(時間)=『偽のあなた』」を挟んではいけないのである

“行為そのものに成る”

このとき、あなた自身が “生の流れそのもの” と成る

すると「仁義」も「知恵」も必要としなくなる

というか「それ自体」が無くなっている

もはや、そこ在るのは “大道” だけである

“あなた” のことである