NO.89-52 旧ブログ記事 NO.52(2017.2.27)
“わたしの世界”と、「マトリックスの世界」とは違ったものです。
いま、私の中にはこの2つがあり、この違いが見て取れます。
“わたしの世界” に、「マトリックスの世界」が被さってきているのです。
この被さってきている「マトリックスの世界」は、私たちが作り出しているものです。
そして、この「マトリックスの檻の中」に、自分を閉じ込めてしまっているのです。
この「マトリックスの世界」というのは、「価値判断、思考」などを、
私たち全員(集合意識)で、信じ込んでしまっているが為に、
それらが「当たり前になってしまっている世界」のことです。
また、それらで作り上げた「マトリックスの骨格」、
つまりハード面があります。
これが「お役所、金融、司法」などのものです。
どちらかというと、こちらのハード面の方が先に作られたのかもしれません。
このハード面は、ごく少数の人たちで意図的に作り出しているものです。
まず、これらを「見抜く」ところからスタートします。
さて、「この世界」の主人公は、「私」です。
しかし、この「私」をよく観てみると、どこにも居ないことに気が付きます。
ちなみに、身体は、「私」ではないですよ。
身体は「世界の中」にあるので、たとえば、目の前にあるコップと同じところにあります。
ですが、「私」は一体どこにいるのでしょうか?
そう、「私」は、単なる「架空のイメージ」なのです。
そのイメージを、「私」だと信じ込んでいるのです。
そして、この「私」が、「マトリックスの檻」の正体なのです。
だから、この「私(檻)」から出ることが出来れば、“本来のエネルギー” が現れてきます。
“無制限の空、悠久” のようなエネルギーが、現れてくるのです。
そこから中心みたいなものが現れてきたら、それが “本当のわたし” です。
ここでは「思考」が湧いてこず、代わりに “知性” みたいなものがあります。
ちなみに「ヒャー、やったー」というような今までの喜びは、
「感情であってエゴ(思考の反応)」なので、このようなものはそこにはありません。
そうではなく、「私」から出ると、すこぶる “解放感と自由” が起きてきます。
抵抗するものが何も無い状態になるのです。