「あなた」が何もしないとき未知がひらく

仕事は仕事ではない

NO.71-34   旧ブログ記事 NO.34(2016.8.16)

「仕事の内容」に意味が見出せない。
「世間にとって必要さを感じられない仕事」に就いている。

15年ほど前、いろんなことを考えていました。

うどんを作ってネットで売ってみようか?
「地域を越えて世界中に売れるぞ」とか思っていました。

実際、いろんな粉を取り寄せて、自分でこねて、みんなに配ったりしていました。

と同時に、精神世界が大好きでした。

1日たりとも精神世界のことを忘れたことがありませんでした。

だから、そのうち「それに相応しい仕事」みたいなことが現れて来るだろうと、ずっと思っていました。

しかし「仕事」に関しては、ほとんど変わらずにきています。

今、解かるのは「そんなことはどうでもよかった」ということです。

「仕事」の内容に意味が見出せなくてもいいし、
必要性を感じられなくても、それでよかったのです。

“ここにあるもの”

これに接しているだけでよかったのです。

つまり、「仕事は仕事ではなかった」ということです。

「人生」の一部分を切り取って「仕事」と名付けているだけで、
区切らなければ「仕事」なんてものは、そもそも無いのです。

言い方を変えれば、全てが仕事なのです。

また、そこかしこにも「必要の無いこと、意味がないように感じられること」があるでしょう。

それもそのままでいいのです。

それが、そこに “起こっていること” だからです。

本当のことは、「それらを目撃している “わたし” の方が、主体なのだ」ということです。

この “主体” と「出来事の内容」とは、「別モノ」です。

これを理解したとき、心の底から「なんでもよかったのだ」と思えるようになるでしょう。

そして、さらに言えば、“主体のわたし” は、シーンの外、「この世界の外」に居るのです。