NO.350-98 旧ブログ記事 NO.98(2015.8.2)
“世界だけがある”
見えているものは、「世界の中にある」
私の首から下の身体は、「世界の中にある」
感触は、「世界の中にある」
そう、本当は “世界が体験していた” のです。
個の「私」など、何処にもいやしません。
「私の世界」など、何処にもありゃしません。
あるのは “世界の体験だけ” です。
その “世界が体験している” のを、“観ているもの”
その感触すらも “観ているもの” が、“本当のわたし” です。
NO.350-98 旧ブログ記事 NO.98(2015.8.2)
“世界だけがある”
見えているものは、「世界の中にある」
私の首から下の身体は、「世界の中にある」
感触は、「世界の中にある」
そう、本当は “世界が体験していた” のです。
個の「私」など、何処にもいやしません。
「私の世界」など、何処にもありゃしません。
あるのは “世界の体験だけ” です。
その “世界が体験している” のを、“観ているもの”
その感触すらも “観ているもの” が、“本当のわたし” です。