NO.401-149 旧ブログ記事 NO.149(2016.6.21)
フィールグッドの色づけのために「聴く音楽」を選んでいました。
すると、純粋に「歓びだけの音楽」がほとんど無いことに気が付きました。
一見、「元気な歌」となっているような「ポジティブな歌」でも、
その後ろに「悲しみ、理不尽」が隠れているものが多いことに気が付きました。
みんな悲しみをどこかに持っていて、「だから元気になる音楽」を作っていたのです。
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むかしむかし、「この世界」に「上下関係」が出来てしまいました。
そこからしばらくして「この世界の民」は、お互いに自由を失ってしまいました。
本来「この世界」は、“各々がアートを登場させる場” なのでした。
そのアートの為に、この身体があるのです。
ならば、私も皆さんも「この世界」に何を登場させましょうか?
それはアートでなければなりません。
アートというのは、私が “わたし” で在るとき、“そこから沸き起こってくるフローに成る” ことです。
この “フローがわたし” であり、“それと一体と成っているとき”
これがアートです。
それは “どんな意味の無いこと” でもアートに成るのです。
さて、ここです、
この “沸き起こってくるフロー” に、“心持ち” が施されて出てきます。
だから、“普段の心持ち” が大切なのです。