NO.402-150 旧ブログ記事 NO.150(2016.6.24)
ここしばらくは、「意図して創造が出来るのか」を探っていました。
私の場合の “自己想起” は、
ここにあるものをやっているだけで幸せなのですが、
ここからプラスアルファーを「やろう」とした途端に、”そこ” から出てしまっていました。
――――――
まず「ムード」の話なのですが、
私は、服装や、言葉使いや、考え方や、「ムード」が変われば、
世界が「そのような『色』」に染まるのを、体験していました。
いわゆる「波動の法則」というものです。
ところが、「思考」で「波動の法則を『やる』」ようになってしまうと、
「もっともっと」という状態に成ってしまい、”本流” から外れてしまうのです。
つまり、“本流” より「思考」を優先してしまうのです。
私の場合、これを繰り返してしまったせいで、
フィールグッドから外れてしまい、
「この世界のとんでもない仕組み」が現れてきました。
ここから、私は「岩窟王」に成ってしまい、
「岩窟王のムード」とおりに「私の世界」が染まって行きました。
そこからは、いくらポジティブにもっていこうとしても無理でした。
10年ほど、そこから抜け出せませんでした。
さて、ここからです。
先日、気が付いたのです。
というか、理解出来たのです。
なぜ、私が岩窟王に成ってしまったのかを
なぜ、「私の世界」に「支配」が現れて来たのかを
それは、私の “心持ち” が「分離してしまった」からなのです。
「心に分離が有った」から「世界が敵に成ってしまった」のです。
本来、“私と世界とは引っ付いています”
そこに分離は無いのです。
そこに「敵」など入り込む「隙間」は無いのです。
“心に分離が無いとき”、このように成っています。
今までに「心が創っている」というようなことは聞いていましたが、
なんとなく解かっているつもりでも、理解まで至っていませんでした。
しかし、先日「そのとおりだ」と理解出来たのです。
心に分離が無いとき、たとえ「支配」といわれるものでも支配にならないのです。
だから、これから支配自体が無くなっていくでしょう。
今の段階で、これが解かっています。
――――――
さて、
今回、自己想起で “創造” が出来るのか?と考えていました。
つまり、“ここにあるものだけをやっている” のではなく、
“湧き出すフローの色=ここに起こってくる出来事” を創ることが出来るのか?と考えていました。
そして、“新しい世界” に入っても、“その状態のまま” で色付けが出来ることが解かりました。
これは「色付けを“やる”」のではなく、“心持ちに色をつけている” だけであり、
そこから沸き起こってくる “フローやインスピレーション” には、もう「その色」が付いており、
それを受け取った私はそれをやっていくだけです。
この “フローやインスピレーションに成る” というのが、“創造” です。
ちなみに、インスピレーションは、“わたし” ですが、
「思考」は、「他者(集合意識=過去)」です。
だから、“フローとインスピレーションに成る” というのと、
「思考をやる」というのとでは根本的に違っています。
「思考」が、「過去を参照している」のに対して、
“フローとインスピレーションの世界” では、「過去から判断する」ことは起こりません。
そこは “私がやっている感満載に成ります” が、道は一本なのです。
“全くの自由” ですが、道は一本に成ります。
“心の中を分離させない”
すると、わたしと世界とがダイレクトになり、「隙間」が無くなります。
ここが、“フローが起きる創造の場” です。