NO.58-21 旧ブログ記事 NO.21(2016.5.22)
真実とは何か?
それは、“わたしがゼロ(ニュートラル)だ” ということです。
“わたしがゼロで在るとき”、
それが “真の行為” と成っています。
ではなぜ、“わたしがゼロ” なのに、それが「行為と成っている」のでしょうか?
それは「外側」に「違う力」が働いているからです。
この「外側の力の作用」によって、わたしが行為した “よう” に浮かび上がってくるのです。
この「外側の力」というのは、
“内側の世界(ゼロ、ニュートラル)” とは正反対のものです。
それは、ゼロに対して「ゼロでは無くさせよう」とするもの、
つまり「支配」という形で現れているものです。
だから、この「外側の世界」と同化してしまった人は、
みんな「支配」として作用するように成ってしまいます。
私もゼロに居ないときは「支配」として作用してしまいます。
このような状態で「システム化してしまっている」のが、「この世界」です。
しかし、もしこれに気付けたなら「外側の世界(支配)」から完全に切断することが出来ます。
切断というか、私が “ゼロに戻るだけ” でいいのです。
わたしがゼロの時「外側(支配)」には、まったく触れていません。
そこには「外側からの力」は及びません。
これは「私の身体の表面」を境として、
“わたしの内側” と「外側の世界」とに分かれているということです。
“わたしがゼロに在る” とき、「目の前の世界」は完璧に “わたし” を映し出しています。
これが “わたしの世界” です。
これを眼球に例えると(少し比喩っぽくなってしまいますが)、
「眼球の表面の外側ではなく内側」が観れたとき、
そのとき、張り付いたように “わたし=内側の世界” が観れています。
世界とわたしがイコールなのが解かるでしょう。
この視界が “本来の視界” です。
これが、“わたしの世界” です。
「私」は少し出過ぎてしまったのです。
外側に魅力を感じてしまい、そのまま出てしまったのです。
そして、戻り方を忘れてしまったのです。
その「外側の世界」に出てしまう架け橋が、「意味づけ」です。
だから全ての「意味づけ」を止めることです。
すると、“本来のわたしの世界” に戻れるでしょう。