NO.52-15 旧ブログ記事 NO.15(2016.2.7)
「問い」とは、「 “大元” から出ること」によって生まれてきます。
だから「問い」とは、単体で存在するものであって、
その「問い」と「対になっている答え」は存在しないのです。
もし仮にですが、
「問い」に対する「答え」を導き出したとしても、すぐに次の「また違う答え」が出てきます。
さらに、しばらくすると「また新しい答え」が出てくるのです。
結局は、その「問い」の周りをグルグル回っているだけで、“真の答え” は永久に出てこないのです。
もし、“真の答え” を導き出したいのであれば、
それは「問い」が “大元まで戻ったところ” にあります。
しかし、“大元” まで戻ると、その「問い」は消えてしまうのです。
では、“大元” まで戻るとはどういうことでしょうか。
“大元” とは、“ここにあるもの” です。
つまり、“目の前にある世界” が、“真の答え” なのです。
これを理解したとき、全ての「問い」は消え去るでしょう。
そして、この「問いの正体」こそが、
「目の前の世界から分離したもの=私(エゴ)」だったのです。