NO.48-11 旧ブログ記事 NO.11(2016.1.7)
“無” とは、「何も無い」のではなく “認識出来ないもの” のことです。
認識することが出来ないから、そこは “無” となるのです。
しかし、そこは「有で満ち溢れている」のかもしれません。
この “認識出来ないもの” が、“外から”「この世界」を観ています。
「この世界も私の身体も幻想だ」と解かった上で観ています。
これは “知性” のようなものです。
しかし、この “知性” 自体を認識することは出来ません。
この “知性” は、“認識するもの” だからです。
掴むことが出来ないのです。
しかし、この “知性の中には存在” が在ります。
この “存在” は認識することが出来ます。
認識しているのは、この “知性” です。
そうなのです。
認識出来ない “無=知性” が在って
その “無が観ている” ということになるのです。