「あなた」が何もしないとき未知がひらく

映画「いなくなれ、群青」

NO.404

あなたは「観られている世界の中」に居る

つまり、鏡の中だ

この映画は、この「鏡の中の世界」が

どのように出来ているかを表している映画である

  

さて、この物語の舞台は「階段島(かいだんとう)」である

ここは「捨てられた者たち」の島である

この「捨てられた者たち」は、ある日突然この島にやって来て、ここに住むことになるのである

この者たちは、島に来る直前の記憶を失っていて

「どうして自分がこの島にやって来たのかが解らないまま」に住むのである

この「階段島」は地図にも載っておらず

外への通信も出来ないように成っていて、外とは隔離されている島である

だが、不思議なことに「ネット通販」の荷物は届くし

郵便局もあるから手紙も届くのである

この手紙を配達している「時任さん」という女性が何かを知っているようである

この「階段島」を管理しているのは、「魔女」である

魔女は「この階段島の山の上に住んでいるらしい」のである

この島のタクシーの運転手は言う

「魔女は可哀想な人ですよ。この島を管理しなければならないからです。」
「私なら耐えられない。」と

そんな「階段島=鏡の中の世界」にあって、“うすうす気付いている者たち” が、ほんの少しだけだが居るのである

そのうちの一人が、「七草(ななくさ)」である

七草は、そんな「階段島」を受け入れている存在である

だが、そこに突如、友人(恋人?)の「真辺由宇(まなべゆう)」が現れて来るのである

そして、ここからこの物語が始まるのだ

なぜなら、「まなべゆう」が、この「階段島」から出ようとするからである

この「階段島」から出るためには、“自らが失ったものを見つけ出さなければならない” のである

そして、その “失ったもの” を「海辺の白い灯台にある『遺失物係』」まで届けに行き

「魔女」の居るであろう山の上までの階段を昇って行くことで、この「階段島」から出られるのである

さあ、この時点で、この「階段島」が「地球のこと」を言っているのが分かるだろう

  

さて、ここに豊川さんというバイオリン弾きの女の子が居る

この女の子は、“現実世界” であった「大きなバイオリンのコンテスト」で弦が切れてしまい

その失敗から、怖くてバイオリンが弾けなくなっていたのである

つまり「他者の目」が気になって弾けなくなっていたのである

これが「他者から観られている世界」

つまり「鏡の中の世界」でのみ起きる「恐怖」から起きることである

だから、今、彼女は「階段島」に居るのだ

だが、まなべゆうのアシストのおかげで、それを克服するのである

みんなの目の前で一旦は演奏が止まってしまうが、見事に最後までバイオリンの演奏を演じきるのである

このとき、掘さんという無口な女の子が、豊川さんの元にやって来て耳元で「何かをささやく」のである

たぶん「もう出られるよ」などと教えてあげたのだろう

この堀さんも七草と同じで「階段島」が何なのかを薄々気付いているような子である

この後、バイオリン弾きの豊川さんは「階段島」から居なくなるのである

彼女は “自らが失ったもの” を見つけて

“それ” を取り戻したのである

このようにして、階段島では、たまに人が消えるのである

  

さて、七草だが、彼はもう「階段島から出られるはず」なのに、ここに残るようである

これは、七草自身が「階段島も悪くないから」などと言っているが

まなべゆうを、“現実世界” に戻してあげたいからである

そのためには「自分がここに残った方がいい」と思っているのである

この階段島には、“自ら” から切り離された「自分」が居るわけだから

この「切り離された自分(七草)」が、ここに残ることによって

“現実世界” での、“まなべゆう” の分離が起こりにくくなり

彼女が “元の世界に戻りやすくなるのではないか(もう戻って来ない)” と思っているのである

だが、これは逆である

  

さて、学校へと向かう階段の途中に「落書き」が発見される

その落書きには、こう書かれている

  

  “魔女はこの島に過去ばかりを閉じこめた。未来はどこにある?”

これはまさに「鏡の世界」をそのまま言い表している言葉である

この言葉のとおり「階段島=鏡の世界」には「過去」しか存在しないのである

ここは「結果の世界」なのである

  

続いて、また落書きが発見される

  “君たちは鏡の中にいる。君たちはなんだ?”

これはもう、そのものズバリである

君たちは「鏡の中に居る『観られている君たち』」だ

  

そして、最後の落書き

  “失くしものはすぐ近くにある。失くしものとは何だ?”

そう、失くしものとは、“本当の自分” である

  

さて、「プラスである、理想主義者」の、まなべゆうは、七草と一緒に “現実世界” に戻りたいのだが

「マイナスである、悲観主義者」の七草は、この「階段島」に残ると言うのである

そもそも「理想主義者と悲観主義者」自体が、どちらも「“自ら” から分離した凸の部分」であり

これが「階段島に住んでいる部分」なのである

「“本当の自分” から離れたもの」、これが階段島に住むのである

だから、今「この2人の分身」は、この「階段島」に居るのである

だから、“現実世界” に戻るためには、これを止めればいいのである

“素直な自分、本当の自分” に成ればいいのである

だから、まなべゆうだけが、“現実世界” に戻れたのだ

だが、またすぐに、まなべゆうは戻って来るのだ

私は、このシーンを観て

「なんで、またここに戻って来るかな~」
「ここが当たり前に成ると、癖づいて戻れなくなるぞ~」
「今度は七草の方が、悲観主義を止めて “現実世界” に戻る番じゃないか」

などと思ってしまったのだが

今度は、七草を迎えに来たのではなく

この「分離された七草」ですら、自分にとっては必要だから

「“現実世界の自分たち” が間違っている ということをここで証明する」と言い出すのである

だが「階段島で証明すること」なんか不可能である

階段島に居る「分離した自分=エゴ」は、何の力も持っていない「幻」だからである

だから、ここでは証明なんか出来ずに

「葛藤」が続くだけになってしまうのだ

  

さあ、長くなってきたので

あなたも、そろそろ「鏡の世界」からの脱出を試みてはどうだろうか?

それは “あなたが失ったもの”

つまり、“本当のあなたを取り戻せばいい” のである

これで、あなたも「階段島=鏡の中の世界」から出られるのである