NO.377-125 旧ブログ記事 NO.125(2015.9.22)
唯一、“それ” に無いのは「疑い」です。
だから、「疑い」が起きた時点で、そこに「エゴ」が誕生したということです。
このエゴが「私」です。
この「私」が立ち上がると
そこに「疑いの神=マトリックスの神」が現れています。
と言うか、この「私」が「疑いの神」なのです。
この神は「右から左へ」と混乱させる神です。
これが「思考」です。
それに対して、“疑い知らずの神” がいます。
自信を無くしてしまって疑い始めてしまった時に、
「その疑いは違うよ」と、気付いている “神” がいます。
この神の特徴は “どっしりとここに居て全くブレてない” ところです。
だからすぐに “疑い知らずの神” だと解かります。
“この神の動きと共に在ること” です。
この “疑い知らずの神” と合致していると、私は “疑い知らず” になります。
なぜなら、そこには “対が無い” からです。
右左には振れずに、道は一本になるのです。
どっしりとした安心感と共に “ここしかない状態” になっていれば、
それが “疑い知らずの神” です。
“わたし” のことです。