NO.355-103 旧ブログ記事 NO.103(2015.8.12)
“涅槃” から見たら、「私の身体も、目の前の世界」も、「幻想」です。
しかし、“涅槃” から外れることで、私は見事に「個」となり存在することが出来ます。
そして「私が体験する」ことになります。
これは素晴らしい事だと思います。
“涅槃” からは、観ているだけですが、
私には「体験が出来る」のです。
しかし、無意識でいると「他者(集合意識)」を生きてしまいます。
だから、この私に、“意識” を当て続けることが必要です。
それは “自分に気付いている” ことです。
“自分がやっていることを観ている” ことです。
そのうち、“そこがひとつに成ります”。
ここには、もう「迷う」なんて事は起こりません。
目の前に、要るものだけが用意されてきます。
見れば、そこに置いてあります。
それを使って、やっていきます。
そして、また “涅槃(覗いているもの)” に戻ることもあるでしょう。
そのときは、そこから「珍プレ~」を観ていればいいのです。
「あまりの意味のなさ」に笑ってしまうでしょうが。
そうなのです。
私は、“自己想起”と、
“私が行為している世界を外から覗いている”
この両方を楽しめるのです。