NO.41-4 旧ブログ記事 NO.4(2015.11.19)
「私」を、知る為には何か他のもの、「他者」が必要です。
「他者」があることで、「私」が浮かびあがってきます。
「他者から見ているもの」が、「私」です。
「他者の視線」で、「私」は出来ています。
つまり、この「私」は「他者」なのです。
この「他者の視線」とは、「集合意識、思考」のことです。
そこに「プロミデンスの目」が横やりを入れているのです。
つまり「人類の集合意識、思考」が、「プロミデンスの目に操作されている」のです。
そこに私が繋がっています。
ところが「操作されている集合意識」は、「私の記憶、過去」でもあるのです。
いつも “わたしの生” にチラッチラッと出てきては操作してくる、この「私」とは「過去の私」でもあるのです。
つまり、私はずっと「過去の私」と闘ってきたということです。
これが解かってくると、出てくる度に、これが「過去の私」だと気付くようになります。
その “見抜いている位置” にずっと留まっていると、
“その位置” こそが、“本来のあるべき位置” だったことに気が付きます。
そこは、今までもずっと “そこ” にあった位置です。
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さて、「他者の視線」から見てしまうと、「私」 が誕生して「マトリックス」に入ります。
すると、この「私」は「この世界のパーツとして生きるもの」になってしまいます。
そして、この「私」は「世界の中」にピン留めにされてしまうのです。
*「私が何かやろう」としても「他者を意識して」躊躇してしまう。人の顔色を伺ってしまう。これが「ピン留めにされてしまう」ということです。
さて、どうやって脱出しましょうか?
それは、本来の “わたしの視線” を取り戻すことです。
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「私の首から下の身体と、目の前の世界」とは、同じ空間にあります。
しかし「視線」は、“違った次元” にあります。
この「視線」には、「2つのタイプ」があります。
● 「他者の視線」= ここは「操作された集合意識を使って」見ています。
● “わたしの視線”= ここは “この世界の外の次元” から観ています。
こちらが本来の視線、“わたしの視線” です。
普段の我々は「他者の視線」で、「この世界」を観てしまっているのです。
これを “わたし本来の視線” に戻すと、どうなるでしょうか?
わたしの首の上には “世界” が載っているのです。
頭そのものが “世界” に成っているのです。
ここで笑ってしまうはずです。
わたしの頭は “巨大なひとつの目” になっているのです。
これが “本来のわたしの視線” です。