NO.383-131 旧ブログ記事 NO.131(2016.2.3)
私は空気を介して世界と繋がっています。
私と世界とは引っ付いています。
しかし「私が何かやろう」とした途端に、
「私」が、世界から切り離されて「個」として存在することになってしまいます。
先ほど、ネットでプリンターを探していました。
「そこそこのモノで手頃なもの」を買おうとしました。
この時点で「私」が、「そこそこのモノで手頃なものを買おう」の “枠” と成って、「個」となりました。
これで「私」は、世界から切り離されました。
「私」は、世界に対峙しています。
そして、そのまま「世界に対して」いろいろと調べるのを「やっている」うちに、どんどんと違和感が出てきて、「個」と成り固まりすぎていたのが解かりました。
気持ち悪くなってきたので「やる」を止めました。
ところが、調べるのを止めたはずなのに、しばらくすると「目の前に良さそうなプリンターが現れて」いました。
「探していたものとは全然違うもの」でしたが、「おー これは良い」と納得するものでした。
そして、それを購入することにしました。
今思い返してみても、どうしてそれが「目の前に現れた」のか覚えていません。
「私」はその時、探していなかったはずです。
これは「自動広告」を見たのではありません。
でも、これが “起こった” のです。
これが “流れ” なのだと思います。
まず、私がアクションを起こしたことで、“世界の方から起こってきた” のです。