NO.83-46 旧ブログ記事 NO.46(2016.11.30)
「目の前の世界」に、ノーと言ったものが「私」です。
「目の前の世界」に、イエスといって、そこに新たに何かをプラスしたものが「私」です。
このように “あるがまま” に意図的に手を加えようとした途端に「私」は現れてきます。
そうでなければ、「私」は現れないのです。
「目の前の世界」に、何がしかの摩擦を起こすことで、「私」は誕生します。
さて、
この「目の前の世界」を、そのまま受け取らずに、
摩擦を起こしている、この「私」を存在せしめているものは一体何なのでしょうか?
それは、「思考」です。
つまり、「私」とは、「思考」だったのです。
そして、まんまと「思考」を、私自身だと思い込んでしまったのは、
ほとんどの人間は、未だに「思考」以外のものを、認識出来ていないからです。