「あなた」が何もしないとき未知がひらく

マインドが離れるとき

NO.63-26   旧ブログ記事 NO.26(2016.6.28)

「思考を観ているもの」は、2つあります。

「思考」と、“観ているもの” です。

「思考を観れている」と思っていても、ほとんどの場合が、
「思考」が「その思考」を観ているだけです。

これは “観ているもの” ではなく、「思考」です。

「思考」から反応したものが「感情」で、それらを含めたものが「私(マインド)」です。

体験をしているのは、この「私(マインド)」です。

この「私(マインド)」を、観れているのが、“観ているもの” です。

こちらにチャンネルが切り替われば、“わたしは観ているもの” と成り、
「私(マインド)」は居なくなります。

「私(マインド)」が居なくなったとき、「体験」は起こっていないのが解かります。

さて、ここからは、
この「私(マインド)」が、「立ち上がってくる瞬間」が解かるようになります。
そして、この「私(マインド)」が、「反応している本体」だということが解かります。

この “観ているもの” に成っているとき、
「私(マインド)」が居ないとき、

そこに在るのは “世界というワンシーン” になります。

“わたし” は、そのワンシーンを “観ているもの” です。