「あなた」で何もしないとき未知がひらく

ソクラテスの “無知の知”

NO.556

体験とは「抵抗」のことである

あなたが「想っていること」との差異

この差異が体験なのである

あなたは、この「差異だけ」を体験するのだ

差異がないことには体験は出来ない

だから、よりネガティブな方の体験が多くなるのである

  

さて、人間的にこのことを観るならば

多くのことを知っている者ほど

この差異は多くなる

よって「抵抗」は多くなる

だから、イエスは言ったのだ

“幼子のようになりなさい” と

だが、ここで大事なことは

「知っていること」無しには

「知らないこと」は起こりえないということである

「全くの無知」の場合

「それは無い」のである

「知らない」ということも無い

だから、その体験自体が無いのである

だから、まずは知ることだ

どんどんチャレンジをして知ることだ

そうして、あなたがいろんなことを知ったなら

必ず、壁にぶち当たる

「この世界のシステム」が

あなたの前に立ちはだかってくるのだ

このとき、あなたは「自らの限界」を知ることになる

だが、それでもなお

あなたはその状態を突破しようと試みる

あなたのその姿は

やがて「この世界のシステムから出ようとすること」に繋がっていく

この姿勢

あなたがこの姿勢に入ったとき

“何か” があなたに気付かせようとしてくる

それは “インスピレーション” なのかもしれない

書物なのかもしれない

はたまた “恩寵” なのかもしれない

だが、いずれにせよ、あなたは気付くのだ

突破する先は、“逆方向に在ること” を

そう、反転だ

そこからの全反転

それは「あなたの知っていること」を全て捨て去ることである

そこには “「知らないということ」を知っている状態” がある

これは先に言ったとおり

「全くの無知」とは違う状態だ

これが、ソクラテスの “無知の知”

ここでは “ものの見方や判断が変わってくる”

このとき、あなたの内側には “隙間” が顕れているのだ

ここに、“叡智” が顕れてくる

言うなれば

これが “本物の知っている状態” だ

よって、“本物の知っている状態” は「知識」なんかではなく

“ニュートラルで能動的な状態” のことである

この “能動的な状態” こそが

“叡智” なのである

  

厳しい世界に生きてきた者たちは

何度も何度も波を乗り越えてきた

そうして、彼らは、いつからともなく

この “叡智” の存在を

朧気ながらも感じていたのである

そして、“そこからの能動的な動き” を行っていたのである