NO.553
「雌・雄」
メスとオス
これら「性差がある生物」は
この世界では「死」が必然となる
だから、人間も死ぬのだ
だが、何の性差も無い “単細胞生物” は死なないのである
つまり、この「性差」が無くなったとき
それらは、“永遠の存在と成る” のだ
つまり、このとき “「時空」から出ている” のである
これは「プラスとマイナス」も同じ
「善いと悪い」も同じ
この両者が一つに成って “対消滅” したなら
そこに “新たなエネルギー” が生まれて
それは “永遠の存在と成っている” のである
これが、“存在” であり
“存在が存在たる所以” なのである
このことを人間に当てはめてみると
セックスは非常に “重要なもの” を孕んでいることが解るのだ
二人の持っている「自我(性差)」が消えて無くなり
「雌雄」が対消滅したとき
そこに “永遠の愛のエネルギー(存在)” が生まれているのである
人間は、辛うじて、このことを “奥深くのどこかで覚えている” のだろう
だから、“それ” を求めていく
ワーグナーのオペラ「さまよえるオランダ人」は
このことを表しているのである
つまりは、人間は “神聖なセックス” へと向かうべきなのである
本来のセックスは “瞑想” だからである
「雌雄あるもの」で “ひとつの愛を生み出す瞑想” なのだ
そして、この “瞑想状態のとき” に受精したならば
俗に言うところの
“神の核” を持った子が産まれてくるのである
だが、残念ながら
このようなことは教えてくれない
なぜなら「蛇のそののかし」が邪魔をしているからだ
だから、ほとんどが「動物的」に成ってしまうのである
だが、「動物的」になるのはむしろ構わない
“二人の間に強い愛が在り”
それゆえ “お互いが自らを見失う行為が起こった” とき
それはまさに “瞑想的なセックス” なのである
それは “神聖なもの” である
だが、一度でも「軽率に相手を選んでしまった者」は
つまり、快楽のために「横道に逸れた者」は
ここを修正しないかぎり
“本物の愛” には出会えない
なぜなら、その後も「そのような周波数」を保ったまま進んでいくからである
「ワンナイトラブ」は、お互いが「その周波数を持っている者同士」でそうなるのである
また、これは、恋人と別れた「寂しさ」を理由にした
よく判ってない相手と「体の関係から始めるお付き合い」も同じである
この根底には「これから良くなるかもしれない」という期待があるからなのだろう
だが、この場合、初めのうちは良いかもしれないが
しばらくするとお互いが「愛をもらおう」とばかりし始めるのだ
なぜなら「初めからお互いが愛をもらおう」として付き合い始めたからである
元々、そこには “お相手に対する愛” が無かったのだ
だから、そこには、意図せずとも勝手に為されていく「愛を与えて、与えられる」という
自然な “愛の循環” が起こらないのである
だから、必然的に上手くいかなくなるのだ
だから、また別れて「次の人」を求めていくのである
この繰り返し
これが「恋愛体質の人」が陥っている状態である
つまり、本人は麻痺して気付いてないが
ずっと「そのような周波数を帯びたまま」相手に向かっているのである
“真っ当な人” はそれを感知するから
そのような人とは、永きに渡る関係を築こうとはしないのだ
だから、 ここを修正しないかぎり
“本物の愛” は掴めない
つまり、その者たちは “瞑想を得るセックス” は得にくいのだ
だから、いくらパートナーを替えようが
ずっと「そのような行為」だけが続いていくのである
だから、遊び人は、男女とも遊び人のままになるのである
これが「愛をもらおうとしている人たち」である
だが、そうではなく
二人の間に “愛” が在るのなら
この「動物的なセックス」と、“神聖なセックス” の両者
つまり、「快楽」と、“永遠を体現する瞑想”
このどちらもが “瞑想的なセックス” に辿り着くのである
だが、もし、あなたとパートナーとの間に
ここの「乖離」があるのなら
つまり、二人が
“神聖なものに気付いている者” と「快楽を優先する者」だった場合
“神聖なものに気付いている者” の方は苦痛になってくるのである
ここにセックスレスが起きてくる要因があるのだ
だから、二人でちゃんと話し合って
“瞑想的なセックス” へと向かうべきである
そのためには、まずは、“愛しい” という気持ちを抱えたまま
「頭」を外して波動を合わせることだ
また、男性には男性の特質がある
女性には女性の特質がある
この両者は「対」となっているものだから
相反する性質を持っているのだ
なのに今、この「性差を無くそう」としている動きがある
これは、この裏側に、性差を使って
“新しいひとつのものを生み出そうとしているエネルギーが起こっているから” なのかもしれない
ならば、これに乗っていくべきである
だが、人間は無知ゆえに “このエネルギー” の使い方を間違えてしまっているのだ
それが「男女を無理矢理に合わそうとしていること」に表れているのである
「男女の差別を無くそう」だとか
「男女のトイレを一緒にしよう」だとか
「『女優』という呼称を『俳優』に統一したり」などの
「おかしな事に成って現れている」のである
これは、“雌雄の性質” から考えると
明らかな「誤変換」である
だから惑わされないで
“正しい変換” をするべきだ
人は “瞑想的なセックス” に向かうべきなのである
“男女で溶け合って”
そこに “ひとつの愛” を生み出すべきなのだ
これが “このエネルギー” の使い方だ
「プラス」と「マイナス」がピタッと、はまったとき
この両者は消える
そして、“ひとつのエネルギー” がそこに顕れるのだ
これが “瞑想” だ
そして、これが “本来の雌雄のエネルギー” の使い方なのである
そのために雌雄があるのだから
これが “本来のセックスの在り方” なのである
さて、今後 “このようなことが起こせる男女” が徐々に増えてきたら
この「時空内の周波数」を徐々に変えていくだろう
なぜなら、「この時空」との、“接点”
“二人の身体” は「この時空の中」にあるからだ
イエスや空海や蜂子皇子やある人物は
この “「時空内の周波数」を上げよう” と行動していたのである
全国に寺や神社を建てて、そこを拠点にして
“周波数を上げよう” としていた者もいたのである
だが、これは、このような覚者でなくとも
我々の “瞑想体験” が増えることでも可能なのである
“瞑想状態” = “存在の周波数” だからである
