NO.54-17 旧ブログ記事 NO.17(2016.2.18)
今まで、どれほど「私」で邪魔をしてきたのでしょう。
ほとんど全てです。
この「私」とは、いつも “世界” を「分離させている私」です。
「あいだに挟まって」ウォーと叫んでいる「私」です。
この「私」が居ないときは、そこには “世界” しかありません
つまり、その世界が “わたし” なのです。
視野が真横まで広がって、そこに “世界だけ” があります。
これは、よく言われる「世界を受け容れる」という「受身」な感じではなく、
“世界とわたしがイコール” に成ります。
世界を「受け容れる者」が居ないので、
世界を「どうにかしよう」という発想自体が起きません。
だから、絶対的な安心感があります。
ただただ安心感とオープンさ、
前がグッと迫ってきて、引っ付いているような感じ、
キラキラした感じの世界です。
これが “本来の視界” です。
そこに、ちょくちょく「私の腕」が登場してくるのですが、
これが結構笑えてしまいます。