NO.320-68 旧ブログ記事 NO.68(2015.6.12)
“世界の中” に、「私の身体」が入っています。
この、世界と私とは「一つのもの」です。
なのになぜ、私は “世界” が見れているのでしょうか?
“私自身(世界)” を見るためには、「もう一つ別の視点」が必要なはずです。
それが、
① “わたし”=意識 と、
② 「私」=思考 です。
①の、“わたし”=意識 は、元々「世界の中」には居ないので、外から「世界」を眺めています。
“涅槃に在る” 状態です
②の、「私」=思考 は、「タイムラグ(時間)」です。
この「私」は、タイムラグ(時間)なので、絶対に世界と合致することが出来ません。
だから「“目の前の世界” と、私とは違う」という認識を持つことになります。
これで「私」と “目の前の世界” との区別が起きて、“世界” が観れるようになります。
この「私=思考」がエゴです。
だから、この「私」から見ると、いつも世界とズレているため「思った通りにならない」となります。
さて、ここからです。
②の、「私=思考」は、絶えずズレているため “世界” と合致することが出来ませんが、
「私の身体」は世界と共にダイレクトに動いています。
すると、「私が、考えて行動した」というのは、錯覚なのです。
まず、“世界の行為” が先に起こっていて、
そこに「私=思考」が、「工程を後付け」しているのです。
そして、①の “わたし=意識” は、元々この「世界の中」には居ません。
“涅槃から” この世界を覗いているのです。
すると、、、
“私を含んだ世界” は、勝手に起こっている ということになります。