「あなた」が何もしないとき未知がひらく

映画「天気の子」

NO.433

 “ 「ほだかぁ~! 走れー!」 ”

 “ 「これは僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語だ」 ”

    ********

雨が降り続いている

今「この世界」には、どんよりとした雨がずっと降り続いているのである

そんな中にありながら “光” を見つけた者がいる

“ほんの僅かな隙間に光が降り注いでいるスペース” を見つけた女の子、「陽菜」がいる

陽菜は、その光を追いかけて、そこに向かって駆け出していく

そして、“そこ” に到達し、強く「晴れ」を願いながら “鳥居(結界)” をくぐるのである

すると、陽菜は “空” とつながって “天気の子” と成るのだ

 “ 「ねぇ帆高、今から晴れるよ」 ”

そして、陽菜は家出少年の帆高と共に、“晴れ女” としての活動を開始するのである

だが、二人は未成年であるだけでなく

陽菜は「弟と2人だけで暮らしていること」が問題となり

また、帆高は「家出中でありながら、鉄砲をぶっ放してしまった」ことが問題となり

二人とも「警察(システム)」に捕まりそうになるのである

このとき、陽菜は帆高に「あなたはまだ帰る『家』があるから帰った方がいい」と助言するのだが

帆高は、陽菜にきっぱりとこう言うのである

 “ 「俺、帰らないよ! 一緒に逃げよう」 ”

そう、このとき帆高は「元居た世界」との決別を宣言したのである

そして、陽菜と帆高は、陽菜の弟であるナギを連れて3人で「家」を出るのである

このとき、逃亡者と成ってしまった陽菜は、どんどんと心細く成ってしまったのだろう

それに釣られて、天気もどんどんと荒れていき

8月なのに雪が降るまでに成ってしまうのである

そして、ついに帆高が「警察(システム)」に捕まりそうになってしまったとき

陽菜が、咄嗟に「何か」を願ったせいで雷が落ち

そのせいで少し先に止めてあった車が炎上して

それに警官が気を取られている隙に

3人はそこから逃げ出すことに成功するのである

だが、 陽菜の身体は “天気の子として活動すればするほど” 透けていってしまう

「身体=物質」の結合がボヤケていくからだろう

そして、その夜、帆高は夢を観る

“ 「夢を観ていた
  島に居た頃の夢だ

  この場所から出たくて
  あの光に入りたくて
  必死に走っていた
  追いついた!
  と思った途端
  でもそこは行き止まりで
  あの光に行こう
  僕はあのときそう決めて
  そしてその果てに
  君が居たんだ」 ”

そして、陽菜も夢を観る

“ 「夢を観ていた
  初めて君を見た日
  まるで迷子の猫みたいで
  でも、君が私の意味を見つけてくれて
  誰かを笑顔に出来るのが嬉しくて
  私は晴れ女を続けたの
  君に会えてよかった
  だから、泣かないで帆高」 ”

そして、陽菜は天気を晴れにする代わりの「人柱」と成り

この世界から姿を消してしまうのである

このとき、帆高とナギも、ついに「警察(システム)」に捕まってしまうのである

2人が捕まって、外に連れ出されると、空は見事に晴れている

  

さあ、ここから、帆高の突破が始まるのだ

警官をかいくぐり、夏美さんの手助けをもらいながら「システム」を突破していくのである

 “ 「ほだかぁ~! 走れー!」 ”

そして、帆高は「陽菜が初めて空とつながって “天気の子” と成った」代々木の廃ビルの屋上に

陽菜を取り戻すために、一目散に駆け抜けて行くのである

その道中、注意されても、蔑まされても

また「システム化している須賀さん」に捕まっても

またまた「システム」に捕まっても

ナギたちの手助けを借りて、そこを突破していくのである

そして、屋上の “鳥居(結界)” を超えるときに、強く強く “陽菜に会うこと” を願うのだ

“ 「神さま、どうか、どうか、どうか、どうかーー!!!」 ”

  ・・・・。

すると、帆高も空とつながって

“あちらの世界” で陽菜と再会を果たすのである

このとき、「 あっ 」というシーンが出てくる

「千と千尋の神隠し」の「ハクが本当の名前を思い出す場面」と酷似したシーンが出てくるのである

ハクが、“神” に戻ったシーンである

ここは「あのシーン」を比喩として作っているはずである

そうにしか見えなかったからだ

つまり、このとき、帆高も “天気の子” に成ったのだ

そして、帆高は陽菜に言う

帆高: 「陽菜、一緒に帰ろう」

陽菜: 「でも私が戻ったら、また天気が・・」

帆高: 「もういい、もういいよ、陽菜はもう晴れ女なんかじゃない!」
    
  “ 「もう二度と晴れなくたっていい
    青空よりも俺は陽菜のほうがいい
    大空なんて狂ったままでいいんだ」 ”

    「自分のために願って、陽菜」

陽菜: 「ぅぁ~、うん!」

  

そう、“自分(存在)” のために願うのは正しいことである

だが、陽菜に会えた帆高は “存在(英知)” を採らずに

「感情」の方を採ってしまうのだ

 (たぶん、この気持ちが痛いほど分かる人たちがいるだろう)

だが、これは “創造” を辞めるということである

だから、また「この世界」に大雨が降り出すと共に

二人は「この世界」に戻ってくることに成るのである

当然「この世界」に戻って来た陽菜の身体は、もう透けていない

  

さあ、ここだ

もし、あなたが、この二人の立場だったとしたら

これを選ぶのだろうか?

「大雨(ネガティブ)ばかりが降り続く暗い暗い世界」を、また選ぶのだろうか?

だが、あの二人は、また「この世界」に戻って来た

何故だ?

“あちらの世界” で、二人で居ればよかったじゃないか

  

このことを考えてみると
新海監督は「次のストーリー」をメインに考えているのかもしれないのである

なぜなら、このセリフ

 “「あのとき、僕は、僕たちは
  確かに世界を変えたんだ
  
  僕は選んだんだ
  あの人を、この世界を
  ここで生きていくことを」 ”

  

そう、これは一度、“あちらの世界” に到達した者が

また「この世界」に戻って来たということである

これは “イエスの復活” と同じなのである

だが、この場合 “あちらの世界を引き連れて” 戻って来なければならないのだが

この映画は、そこまで描けていない気もする

だがもし、新海監督が「続編」まで考えて

「このセリフ」を最後にもってきたのだとしたら

次の作品が非常に楽しみになるだろう