NO.389-137 旧ブログ記事 NO.137(2016.2.21)
「Aという出来事」が起きても、
それに「意味づけ」をしなければ、その出来事はそのままスルーして行きます。
また新しいシーンに変わっていきます。
ところが、「何度も同じところで引っかかってしまう」というのは、
「意味づけ」が残っているために、同じような場面で、また同じように引っかかってしまうからです。
この「意味づけをやっている者」が、「私」です。
「私」というより、「意味づけ自身」が、「私」です。
それに “気付いているもの” がいます。
それに気付いて「意味づけ=私」を掴むことなく、その空間側に留まるとき、
そこには “世界だけ” があり、わたしは、その世界を “観ているもの” と成ります。
そこには、引っ掛かかるものがなく、ノーストレスです。
これが、“観ているもの” の状態です。