NO.388-136 旧ブログ記事 NO.136(2016.2.21)
「出来事」をピュアに体験しているとき、
つまり、出来事と一体と成っているとき、
そこには “出来事だけ” があり、「私」は消えています。
しかし、実際には「その出来事すらも」そこには起きておらず、その瞬間には何もありません。
ゼロです。(この表現がピッタリだと思います)
パチッとした “スパーク” した火花の瞬間です。
その後で、“火花”が、その「出来事」として姿を現してきます。
ショッピングストアに行くと、大量の商品がズラリと並んでいます。
これらの全ての商品も “火花” から出来たことに驚きます。
その “火花” を翻訳して、「商品を創り出している」のは、“わたし” です。