NO.44-7 旧ブログ記事 NO.7(2015.12.27)
今までいろんなことにチャレンジしてきた私。
負けても負けても何度もめげずにやり続けてきた私。
そして、ある程度のレベルまで達します。
それに関しては経験も知識もあって、もう大体の事が分かっています。
ところが、「アヤシイ雰囲気」になってきました。
その辺りから上手くいかない事が起こり始めます。
やってもやっても「自分が納得しなくて」上手くいきません。
スランプです。
なんでだろう?
なんで今までみたいに上手くいかないのだろう?
そして「私」は、今まで以上に努力をし始めます。
しかしそれでも上手くいきません。
何度も何度もチャレンジをし続けますが、上手くいきません。
いよいよ、クタクタになってボロボロになってしまいました。
そんなとき、誰かが助け舟を出してくれます。
なぜこの人は私を助けてくれるのだろう?
この人は「私の止まっていたところ」を、何の問題も無くスルスルこなして行きます。
当たり前のようにやってのけます。
この人のアシストのおかげもあって、私も徐々に出来るようになってきました。
そして、今では「当たり前に出来る」ように成りました。
もう、今までの私ではありません。
それを超えています。
これが「理解した」ということです。
これでもう、この問題は起きません。
ここから私は、次のステージに移行します。
もう「ワンランク上のステージ」で、やっていきます。
ところが、しばらくするとまた「アヤシイ雰囲気」になってきます。
今までは、言うならば「技を鍛えて上手になった」ということですが、
今度のスランプは「根本的なこと」に気付かされるのです。
つまり、ここからが “本当に生きる” ということを学ばされるのです。
そう、“本流” を発見するのです。
しかし、この時点ではまだ解かっていません
よって、ここでまた、上手くいかなくなってきた「原因」を考え始めます。
「あの時、こうしてしまったからだろうか」
「やっぱり、こうした方がよかったのだろうか」と。
いやいや、そうでは無いのです。
わたしが “本流” から外れてしまったからなのです。
“本流” から外れてしまったとき、「何か」が一緒に生まれています。
その「何か」が主導権をにぎってしまい、そのまま突っ走っているのです。
その後は、ことごとく上手くいかなくなってきます。
まだ、最初のうちは「何かおかしくなってきた」程度ですが、
あるところから、ますます上手くいかなくなってきます。
この「何か」というのが、「私」です。
だから、「私」がやることは、すべて失敗するのです。
しかし、“本流に在る人” は、すべてが「正解」となるのです。
今までの数々の挫折は、この “本流” を発見する為にあったのです。
そのために、何度も何度も「コツコツと頭をぶつけてきた」のです。
または「キョーレツな一発」を食らってきたのです。
これらの「どうしようもない体験」をすることで、“本流が在ること” に初めて気付くことが出来るのです。
そして、ふいに “ニュートラルな位置” を発見し、
“ここがメインステージだったこと” に気付くのです。
しかし、またすぐにそこから外れてしまうでしょう。
でも、一度 “本流” に気付いてしまうと、「外れたとき」は外れていると解かるし、“入った時” は入っていると解かります。
こう成って初めて、人生とは「私」がやっているのではなく、
“わたし(本流)” がやっていたのだ ということを理解するのです。
そして、ここからが、“本当の人生” のスタートです。