NO.490
“本当の体験” というのは
たとえば、あなたが買い物をして荷物を持ったときに
その手に持っている “荷物の重さ” や
“歩いている感覚”
また “風を浴びた” ときに
“直接肌に触れる感触” や
“服から伝わってくる感じ”
“これらの感覚” のことである
これらが、“本当の体験” なのだ
つまり、“ピュアな体験” である
だが、そこにあなたは「意味」を付け足していく
「あ~あ、なんで今日に限ってこんなに荷物が多いのか?」
「重たいし、しんどいし」
「帰れば、またこの食材を冷蔵庫にしまわなければならない」
「それから料理も作らなければいけないし・・」
また、別のパターンでは
「今日はいい買い物が出来たなぁ」
「早く家に帰って、これらの食材を使って料理を作るぞ」
「みんなの喜ぶ顔が目に見えるようだ・・」 と
「このようなこと」
あなたは「このようなこと」が体験だと思い込んでいるのである
だが、これらは “本当の体験” ではない
これらは、あなたの付けた「意味から起きてくる感情」なのである
あなたは「これらを体験している」と思い込んでいるのだ
まったく騙されている
これらが「苦」の元だ
“本当の体験” とは
「それら」を、“あなたが付け足す前に起こっていたピュアな体験” である
だからもし、あなたがそこに「意味」を付け足さなかったら
そこに “ピュアな体験だけ” が残るのだ
そこには一切の「苦」は見当たらない
そして、“そのピュアな体験” が
ずーっと続いていくのだ
これらが、“あなたの本当の体験” であり
“あなたの生” なのである