NO.489
「この世界」は楽しい
本当に楽しい
楽しい遊び場があり
楽しい仲間と共に、楽しく遊んで
みんなが一定のルールを守っていて
そこに「恐怖心」なんか全く湧いてこず
また、日々の生活ですら活き活きと過ごせているとき
「この世界」は、本当に楽しいものである
そこに、多少の「苦」はあるかもしれないが
それも、あまり「深刻」になったりはしない
そんな日々を過ごせているとき
あなたは「この世界」から出ようとは全く思わないだろう
だから、誰しもが “それ” を見つけようとは思わないし
“そんな世界” が在ることすら考えもしない
とにかく、日々の暮らしが活き活きとして楽しいのである
だが、そうではなく
あなたが生きづらさを感じていて
「あなたの世界を変えてしまいたい」と思うようなことが続いていたなら
何とか、打開策を見つけ出そうとし始めるだろう
いろんな本を読んだり、ネットで検索したりして
「自分の世界を変えよう」といろいろと試みるのである
そうして「この世界の仕組み」を知ることになるのである
このとき、あなたは「恐怖する」
だが、ここからなのだ
ここが、あなたの転換点なのである
ここから、あなたは周りの人たちへ「いろんな物事」を伝え始めるのかもしれない
なんとか「世の中を変えようとする」のかもしれない
だが、それは徒労に終わってしまうだろう
そして、あなたは「自分たち身内だけが助かろうとする」か
“この世界から脱出する” かの、どちらかを選択することになるのである
前者は「システムに成る」ことであり
後者は “アウトサイダーに成る” ことだ
そして、“アウトサイダー” の行き着く先が
“真理の探究” なのである
そして「この世界」とは違う
“不可思議な世界が在ること” を初めて知ることになるのである
だが、“その世界” は、またすぐに隠れてしまうだろう
だから、また、みんなと珍プレ~なり冗談なりを言い合ったりしながら
楽しく遊んだりするのである
そして、やっぱり「この世界」の方が楽しいと思ってしまうのである
そして「この世界の楽しさ」に、またどっぷりと戻ってしまうのだ
だが、“あなたの世界” は確かに、“ここに在る”
あなたが一度でも、“その世界” を体験したなら
“その世界” のことを忘れることはないのである
だが、それにもかかわらず
あなたがいつまで経っても「この世界にかまけている」なら
また「過酷な状況」が、あなたに起こってくるのである
これは、“あなたの生”が
あなたに “あなたの世界を掴み続けること” を要請しているのかもしれない
事実、このようにまた「過酷な状況」がやってくるのは
“その世界” が開いているのに「この世界にかまけ過ぎたとき」である
だが、その「あなたの過酷な状況」は
要所要所を押さえて、とても上手くいくように成っているのだ
あなたが「恐怖」を抱えながら
「次の機会には、このようにしてみよう」と思いながらタイミングを計っているときも
何故だか、結果的にベストのタイミングで
“リカバリーのようなことが勝手に行われていく” のである
このときに “不可思議な差配” を、あなたは感じ取ることになる
このことによって、あなたの理解がさらに深まって
より、“あなたの世界に留まること” が容易になってくるのである
たぶん、“あなたの生” は、あなたに伝えているのかもしれない
何よりも、あなたが “あなたの世界に留まることを望んでいるのだ” ということを
そして、“「この世界の楽しさ」は、もう卒業するときが来たのだ” ということを