「あなた」が何もしないとき未知がひらく

「ZOO 〜愛をください〜」

NO.466

「ZOO 〜愛をください〜」 蓮井朱夏

♪ 愛をくっさい wow wow 愛をくっさい ルー ♪

  

この歌が流行っていた当時

私はある人の前で、よくこのように歌っていた

私はその人の前では、いつもリラックスして安心して

伸び伸びといろんなパフォーマンスを披露していた

その人は特別な反応を示すこともなく

またあまり笑うこともなく

いつも私のパフォーマンスを眺めていた

私は楽しかった

あの人の前でパフォーマンスするのがとても楽しかった

私のパフォーマンスはいつもあの人に向けたものだった

そう、私は “あの人の視界の中” でパフォーマンスをしていたのである

あのパフォーマンスはあの人から引き出されていたのである

あのパフォーマンスはいつも滑稽なものばかりだったから

あるとき視線に気が付いて周りを見渡すと

クスクスと笑っている者たちがいた

私が芯から楽しそうにプレーしていたからなのだろう

そこには “暖かい微笑み” が在ったのである

  

この歌を聴いている今

あの人から観た私は

どのように観えていたのだろうか?

ということが少し解ったのである

たぶん、“あの人の視界の中” では

私は “愛” に成っていたのである

その瞬間、二人は “お互いを映し合っていた” のである

つまり、お互いの「自分」が消えていたのだ

そこに在ったのは “ひとつの何か” だったのだ

“それを体感していた” のである

これは、“あの人の視界” がそうさせていた

あの人は “そんな視界” を持っていた

今、そのように思えるのだ

なぜなら、私も “その視界” を持てるように成ってきたからである

今までの私は「他の人」と接すると

“その視界” を保つことが出来ずに “そこ” から出てしまっていた

だが、近頃は「他の人」と接していても “その視界” を保てるように成ってきたのである

“その視界” とは、“わたしの世界” である

“そこ” しかない世界である

そこには、いつも “暖かい微笑み” が在るのである

  

もし、“このような視界” が各々の間にも起き出してきて

そこから “各々の視界” が繋がり出したなら

そこに “新しい世界が立ち上がってくる” のは間違いないのである

なぜなら、私自身が「他の人」が居る状態でも “その視界を保てたこと” で

このことを確信出来たからである