NO.445
「バビロン・タルムード」を信奉しているシオニストたちがいる
彼らは「人間」のことを「ゴイム」だと言っている
これを「大衆」と置き換えてもいいだろう
彼らは「我々と『ゴイムたち』とは別の存在だ」と言っている
事実、彼らから観るとそうなのだろう
彼らから観ると「人間」は何を仕出かすか判らない「飼い慣らしておかなければならない存在」なのである
ここで「人間」とは一体何だろう?という視点が生まれてくる
それは、そのまま放ったらかしにしておくと「バラバラに動き出す赤ちゃんのようなもの」となる
事実「人間」は放っておくと「どんどんと楽をして」グダグダに成っていく
「エントロピー増大の法則」である
だから、彼らにとってはちゃんと「躾けて」おかなければならない存在なのである
この「躾けられた範囲内に住む者」のことを「人間」と呼ぶのである
つまり「人間」とは「人間をやっている者」のことである
そして、ここから外れた者が「人間失格」と成るのだ
だから、まずは「人間の範囲内」に収まることを「やらなければ」ならない
これをやらなければ「人間」には成れないのだ
これは「人間としての道徳心を身につけていく」ということでもある
太宰治の「人間失格」
ここの主人公である大庭葉蔵は
このようには成れなかった
彼は「人間失格」したのである
だから、まずは「立派な人間」に成らなければならない
そして、この「人間のレベル」まで到達したなら
次は、何か「一つのこと」を極めようとする姿勢が必要になってくる
スポーツをやっているなら、その競技を極めていくための探求と努力
仕事をやっているなら、その仕事を極めていくための探求と努力
これらの「自らを高めようとする努力」をやっていくことで
そこに、おぼろげながらも “真理が観えてくるようになる” のである
あなたは薄々気付いてくる
“真理” は「世の中が良くなることにも直結しているのだ」ということに
そして、この “真理” が、あなたの「生きる指標」に成ってくるのだ
ここから、あなたは活き活きとする
いろんな成功をしていくだろう
だが、そのうちに必ず「突破できない壁」にぶち当たるのである
このときにあなたは気付くのだ
この世界の根底には「バビロン・タルムードの力が作用している」ということに
これは、今までもずっとそうだったのだ
今までの歴史を振り返ってみても
一度も「バビロン・タルムード」に勝った上で
その勢力を続けていけた者は居ないのだ
今のところ「バビロン・タルムード」の全勝なのである
だが、ここからだ
ここから先に “新たな人間失格者” が現れるのである
それは「人間の範囲=人間の集合意識」を超えた者である
このとき、そこに “一者” が現れている
その者には、“新たな視点” が生まれているのだ
これが “「人間」を超えた、人間失格者”
“超人” である