「あなた」が何もしないとき未知がひらく

「自由意志」で創造する

NO.438

“自らで立とうとする者” が居る

その者が、“採るべき道” が在る

それは、“自らの道” である

その道は「集合意識の外」に在るのだ

  

では、どうすれば、そこに辿り着けるのか?

“いま” にピントを合わせ続けることである

すると「過去も未来も」無くなってしまう

だが、ここには「記憶」がある

ここが “永遠の今” である

ここは、ひたすらに “今” が続いている

この “永遠の今”

ここが「集合意識」から外れる位置である

ここに辿り着くにはまず「思考」を外すことである

すると「あなた」が居なくなる

ボーっとして「無意識に陥ってしまう」かもしれない

だが、ここで「無意識」に呑み込まれてしまうと

あなたが「システム化」してしまう

だから、ここで “意識的に在らなければならない” のだ

あなたが、この “意識的な状態を持続させていけた” なら

そこに “あなたの世界” が開いてくる

そこに “あふれ出てくるもの” は

あなたを豊かにしてくれる

なぜなら “あなた自身が豊か” だからだ

これが “創造” なのである

“あなたの世界” が即、“創造” なのだ

このとき、あなたは何を望むのだろうか?

いや、“望む” ことすら起きないだろう

なぜなら、“あなたはもう既に幸せ” だからだ

だが、ここから少しでもズレてしまうと

あなたは、“創造を「求めて」” しまうのだ

この「ズレた」ときに出来る「隙間」

この「隙間」に「あなたの自由意志」が働くのである

このとき、あなたが “あなたのまま” で

いや、“あなたのまま” といっても少しズレているから

“あなたのまま” ではないのだが

“その位置の範囲内” で創造を起こそうとするのなら

その「意図したこと」が範囲内で起こせるだろう

だが、この「隙間」が開き過ぎているのなら

もう、その「隙間」は「集合意識」のウエイトの方が勝ってしまっている

だから、その状態では「自由意志での創造」は起こせない

だから「自由意志」で創造が起こせるか、起こせないのかの違いは

「どれだけ “あなた” に繋がっているか否か」の問題なのである

つまり、あなたの「望みが叶わないとき」というのは

「あなたが、“あなた” に繋がっていない」ということである

だから、常に “あなた” で在らなければならないのである