「あなた」が何もしないとき未知がひらく

わたしが体験したもの

NO.4

●なんだこれ?

一瞬、何もかもの境界が無くなった
自分の位置がつかめない、へんてこりんな瞬間
まさに「なんだこれ?」
ここで大笑いする

●空=観ている、禅、 諸法実相 ( 老子の「タオ」の位置)

「私」が消えて、“世界だけ” がある
遮るものが何もなくて、頭の位置が “世界そのもの” に成っている
頭の位置が即、世界に成っている
とても綺麗で穏やかな世界
この状態が進むと、“わたしの中を世界が通り過ぎていく” ようになる

●「この世界」の中の覚醒者 (イエスの位置)

わたしに質量がくる
“今、ここにあるものだけの世界”
ここにあるエネルギーと共に動いている
何もかもがダイレクトに成るためタイムラグが起きない
“ここにある道” を行っているだけなので「思考」が出てもそれに従うことはない
わたしが道の起点に成る

ここは “涅槃” に到達してから、また「この世界」に戻って来た状態
これが “イエスの復活” の意味するところ
空海の “即身成仏” もここ

●「この世界」の外から眺めている 、涅槃(釈迦の位置)

ボワ~ンとした振動の中、「目の前の世界も、私の身体も」幻想だと解かり、その様子を “いつもの頭の位置やや後ろから眺めている”
「この世界の外側」から0.5秒くらい遅れて「私のやっている行為」を追いかけて観ている
ここから観ると「私のやっている行為」は笑ってしまうほどに意味が無い

ここは完全に次元が違っている
ここにも「思考みたいなもの」があるが、これは “気付いている状態”
この “気付いている状態” は「思考」のように左右には触れない
これは “知性” と言った方が良いのかもしれない

●スパーク (ゼロポイント)

「見る、聞く、感触」をやっている “エネルギー” に触れる
私は何も「やって」おらず、全部それがやっていたのが解かる
一瞬だった
私はまだ現れてもおらず、そこには “エネルギーのバチッというスパークだけ” が有った
しかし、その “スパークのはじける瞬間” には何も無かった

この後で「私が現れて体験する」のだけど、まだそこには「私も世界も」現れてはいない
「私と世界」が現れる前のスパーク

 

* “このような状態” が当たり前になれば「苦」が無くなるのは確かである
  なぜなら、そこには「他者」が存在しないからである